【マクベス】共犯ラブロマンス? 甘美な恋に溺れた一卵性夫婦の絆と破滅【シェイクスピア】
共犯関係。それは、甘美な愛の調味料。
シェイクスピアの四大悲劇のひとつ・『マクベス』をご存知だろうか。僕はこの話が大好きだ。
好きなところは2つある。ひとつは「新生児の誕生の瞬間に立ち会った気分になるから」、もうひとつは「夫婦愛を強く感じるから」だ。
新生児の誕生については別記事に書くとして、本記事では「夫婦愛」について言及したい。
さて議題に入る前に、まずは『マクベス』のあらすじについてざっくりと紹介させてもらうとしよう。
スコットランドの武将マクベスは、妻であるマクベス夫人に唆されて王を殺害し、王位を奪う。そしてその地位を失うことへの不安から、マクベスは次々と殺人を重ねていく……。
とまあ、こんな感じなのだが。
そもそも何故マクベスは王をコロそうとしたのか?
マクベスは王を殺害した結果、自分が王位に就くことになった。マクベス夫人も、マクベスのことを『あなたは大いなる地位を求めている』と言っている。ということはやはり、これは「権力欲に囚われた男の転落劇」なのだろうか。そうだろう。それに間違いなどあるはずがない。
だが、本当にそれだけか。なにか別の目的が裏に隠れていないだろうか?
転落劇とは別の側面ーー。
僕はそれを、「愛を証明しようとした夫婦の、壮大なラブロマンス」だと思っている。
『シェイクスピア全集3 マクベス』(訳:松岡和子さん、ちくま文庫)の訳者あとがきに注目したい。
そこには、マクベスが妻への愛を証明するために殺人を犯した、という見方が記されているのだ。
1996年に行われた公演にて、演出家デイヴィッド・ルヴォー氏の役者へある指示をしたという。それを見て松岡さんは、「愛の証明」という見方があることに気づいたそうだ。
その特徴的な指示が出たのは、第2幕第3場、マクベスが王のつき人2人をコロした理由を述べるくだり。
『Th’expedition of my violent love/Outrun the pauser,reason.(激しい愛がほとばしり/理性の手綱を振り切った)』『Who could refrain,/That had a heart to love,/and in that heart/Courage,to make’s love known?(誰に我慢できる?/愛する心があり、その心に/愛を示す勇気があるなら)』
このシーンについてルヴォー氏は、マクベス役の松本幸四郎さんに、マクベス夫人に視線を釘づけにしたまま、これらのセリフを言うよう指示したのだという。
セリフで言えばマクベス夫人のセリフにも、非常に気になるものがある。
権力のために王をコロすと決意したマクベスだったが、その後で実は一度、やっぱり殺人はやめようと妻に言っているのだ。その言葉を受けてマクベス夫人は、呆れかえってこのように言う。
『これからはあなたの愛もその程度だと思うことにします』
そう言われてマクベスは、王ゴロしへの意志を再燃させるのだ。
このくだりこそ、「マクベスは妻への愛を証明するために殺人を行った」という見解の根拠になるのではなかろうか?
さてここまで僕は、「何故マクベスは王を殺害しようとしたか」という疑問について言及した。ここからは逆に、「マクベス夫人が」王ゴロしに固執した理由について考えよう。
彼女も本当に、求めるものは権威だけだったのだろうか。マクベス夫人もまた、「夫に愛を証明させるため」殺人を促し続けたのではなかろうか?
マクベス夫人の殺人教唆は、彼女なりの「可愛いおねだり」だったのかもしれない。
物語の後半。殺人の重圧に耐えられずに夢遊病になった彼女は、こんな寝言を繰り返している。
『あなた、いい加減にしなさい。軍人のくせに怖いの?――誰が知ろうと、怖がることないじゃないですか。私たちの権力には誰も口出しできない』
情けない夫を叱咤する強い妻。物語の冒頭で見たその構図こそが、彼女にとっては幸福だったのかもしれない。
彼女がしたかったのは、関係性の維持や促進だったのではなかろうか。
こんな風に、マクベス夫妻は殺人という甘美な関係性の中で、絆を深めようとしていた。
だが、二人の間に補うべき溝などなかったと僕は思う。
上述したそれぞれの行動が、僕の思考の根拠だ。
十分だったのに。
もっとお互いが相手の中に存在する、大きな愛に気づければよかったのに。
それができなかったことにこそ、この悲劇の原因はあると僕は思う。
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◆『マクベス シェイクスピア全集3』(訳:松岡和子さん、ちくま文庫)→【筑摩書房 シェイクスピア全集 3 マクベス / シェイクスピア 著, 松岡 和子 著】