【鬼滅】無限列車編、小説と映画&マンガの表現比較
鬼滅、せっかく映画を観てマンガも読んだので、小説も買ってみようと思いました。映画とマンガだけでも表現方法にいくつか差があったんですよ。(技に関する解説はマンガだと第三者視点のモノローグだった部分が、映画だと魘夢くんやモブ少女のセリフになっていた、など)だから比較したら楽しいかなーと思って。
箇条書きです。
【※ネタバレ注意※】
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◆原作でも映画でも描かれなかった細かい部分
・禰豆子ちゃんが頭突きした後に泣いた理由
・全集中の呼吸を使っているときの感覚
『ぐっ、と腹に力を入れる。いや、ちがう。もっと繊細に――血管の一本一本に――……』
・『鬼の存在は、世間にはふせられている。明日の新聞では、ただの脱線事故として報道されるはずだ。もしなにか見たものがいたとしても――それは、恐怖ゆえの世迷言、夜汽車で見た悪夢として片づけられるだろう』
(→悪夢、というワードが出たのがかっこいい)
◆炭治郎くんの匂いに関する敏感さは、小説が一番感覚を共有できた気がした
・『血の匂いが――人の血のにおいがする』
→煉獄さんが猗窩座さんから大怪我を負わされたことを知るシーン。まず匂いを感知するところが彼らしいと思った。
◆技の様子をどう文章で描くのか
・『炭治郎が円を描くように刀をふりあげる。その軌跡にそって、流水の幻影がゆらめいた』
→簡潔だけど視覚的に分かりやすい。すげーなと思った。
◆朝の美しさに小説で初めて気づいた
・『炭治郎の絶叫が、しずかな朝の森にすいこまれていった』
・『朝日が、すべてを浄化するようにきらめいていた』
・『客車のなかにとりのこされていたケガ人たちも、全員外へと運びだされ、明るくなった土手や、森の入り口の木陰に身を横たえて、救助を待っている』
→苦しい時間の終わりや、希望の訪れを感じた。
◆柱がバンバン出てくるシーンの表現
・特徴的なビジュアルのキャラが最後にガンガン出てくるじゃないですか。それぞれ容姿を描写してたら絶対まどろっこしくて嫌になると思うんですよ。それを細長いカット絵を重ねて見せて、容姿の描写を省くって技が見事ですげーーなと思った。このシーンに余計な情報はいらない。これがベスト。
しかもこれ、各章タイトルのところに似たような「縦長カット絵」が添えられているので、全然違和感がないんですよね。すげーわ。
◆(どうでもいいけど)漢字について
・『ヘンな……無意識領域……』(煉獄さんの無意識領域について、少女の感想)
・『ヘンなことばかり言ってしまう……つかれてるのかな』(炭治郎が夢の世界に薄ら違和感を覚え始めたときの独白)
→このふたつ、原作マンガでは『変な"無意識領域"』『変なことばかり言ってしまうな/疲れてるのかな…』と、「変」が漢字表記である。映画台本がそうだったのか、著者の漢字表記の拘りゆえか。
小説はそもそも文字が多いし、何しろジュニア向けの本なので、やたら漢字にするのは相応しくない。「変」より「ヘン」のが適しているんだな~というどうでもいいぼやきでした。
◆煉獄さん……
煉獄さん……