やっぱ悪口って、しょーもない
だって悪口の被害者は僕でなく、悪口を言った張本人なんだから。
最近覚えた知識で「脳みそは主語を理解できない」というものがある。
例えば僕がAさんに「Aさんは馬鹿だ!」と言った場合、僕の脳は「Aさんは」の部分を認識できず、「僕は馬鹿だ!」という発言だと思いこむそうだ。
人に対する悪口のはずが、脳は「自分自身に対する悪口」として捉えてしまうらしい。
さて、僕が以前勤めていたコンビニには、とても嫌いな常連さんがいた。
僕に面と向かって「馬鹿じゃねぇのお前」と、日を分けて2度も言ってきた。
僕はその人のことがあまりに苦手で、自動ドアの入店音が鳴るたびにその人が来たのではと怯えていた。その人が紺色の服をよく着ていたから、紺色の服恐怖症にすらなった。実際その人がお出でになったら手がぶるぶると震えてしまった。
ほとんどの従業員とトラブルを起こしているような「要注意人物」だということは途中で知ったが、それでも怖いものは怖かった。
だが! 前述の「脳は主語を理解しない」という知識を得たとき、見方は180度変わった!
僕が「馬鹿じゃねぇの」と言われたのは2度だが、この人はたぶん他の場所で他の人にも何度も何度も言っている。
便宜上、去年はそのお客さんが「馬鹿じゃねぇの」を100回言っていたとしよう。内2回が僕に対するものとしよう。
そうすると僕の被弾数は2/100回だ。
しかし前述の通り、脳は主語を理解できないので、お客さんの脳は100回分すべての悪口を被っているということになる。つまり被弾数は100/100。
僕の被弾数とお客さんの被弾数を比べると、2:100。明らかにお客さんのほうが多いのだ。
あのお客さんの最大の被害者は、お客さん自身だったのだ!
それに気づいたとき、あの人に怯えることが面倒になった。悪口を(自分自身から)言われすぎて、関係ない僕のような他者にその分の復讐心をぶつける。それでいて自分自身もがっつり爆撃を食らう。
そんな馬鹿馬鹿しいスパイラルに閉じこめられていることにも気づかない、可哀想な人なのだ。
知恵は人を救う。
学ぶことの大切さを痛感したできごとであった。
「脳みそは主語を理解できない」ことに言及した樺沢先生の動画(ご本人のチャンネル)→【YouTube】