コボレ恥之介と 石の下でさざめく記事たち

元・マンガ家志望。小説・映画・漫画の感想や表現技法の勉強、自作品の批評など。僕がアウトプットするためのブログです。

女性が「父親」になる話?!『ヴァイオレットエヴァーガーデン』の京アニ技術力

女性が男性らしく、あってもいい!!!

 

 

映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』(アニメーション制作:京都アニメーション)を拝見しました。

僕はこの映画を、女性をジェンダーロール(性役割)から解放する話だと解釈しました。


以下、根拠を示させていただきます。

 

 

なお、本日僕は唐突に両腕を骨折したため、この文章は自動手記人形に代筆していただきました。

 

 

 


【※ネタバレ注意※】

 

 

 

 

f:id:nnaboraababa:20190925144333p:image

 

 

 

 
まず、この映画は青色から始まります。
澄み渡るような青い海高く広い空青々と茂る草木
開放感に満ちた、


その次に映るのは良家の子女のみが通う女学校。この学校は女性の学校ということもあってか赤色が随所にちりばめられており、彼女らが被る帽子は赤みがかった茶色で、彼女らが座る椅子の背もたれも濃い赤色。「女学校の生徒」の代表者のような、やや高慢な態度の女生徒の瞳はルビーのごとく輝く。さらに言えばその女学校に馴染めないでいる、この映画の主役のひとりであるイザベラの髪は赤色。彼女が父親からもらったペンダントの中央部に光る石の色も鮮血のような色をしている。


以上のことから、赤色=良家の子女の象徴と解釈してよいだろう。


イザベラは「良家の子女」でありたくはないと思っており、それゆえ彼女は「ボク」という男性のものである一人称を使用する。

 


そんな「赤色の牢獄」にやって来たのがもうひとりの主人公である女性、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。彼女はイザベラの教育係としてこの学校にやってきました。
彼女の瞳は、海や空のような清々しい青色に輝いています。

彼女は常に凛とした態度を取っており、学園の女生徒らを虜にします。「騎士姫」などという呼び名も得ます。パンツスーツを着こなして社交ダンスの男性役を務めたり、「王子さま」的な印象を視聴者に与えます。
このパートでの彼女は「男性性をも持つ女性」としての象徴と見てよいでしょう。


そんな「騎士姫」との交流の中で、イザベラは自分の過去を思い出します。

 

 


彼女は最初から良家の子女であったわけでなく、貧乏な下町娘でした。イザベラはとの二人暮らし。あくせくと働いて金を稼ぎ、日々をどうにか暮らしていきます。


「一家の大黒柱」とも言えますが、ここでは従来の呼び方をあえて起用しましょう。彼女はこの「家族」において、父親的役割を担っていました。


しかし実はイザベラは、自分が良家の血を引いていたと知らされます。エイミーの父親を名乗る鮮血のように赤いペンダントを携えた男性が、イザベラを連れて行きます。妹はある事情(ココでは割愛)により連れていかれず、孤児院へ。
イザベラは良家の子女となるため、前述の「赤色の牢獄」=女学校にて高貴な淑女となる訓練を受けさせられるわけです。



イザベラはかつて、「女性であり父親である人」でした。しかし赤色の牢獄により、女性性を強要されました。そんな中で、「女性でありながら男性性も持つ女性」であるヴァイオレットと交流するわけです。彼女は(物語の役割でいうと「娘」とも言える)に手紙を書き、ヴァイオレットに託す。前半のイザベラのパートはここで終了です。




物語はここで、数年後へと飛びます。


後半はざっくり言うと、イザベラの妹が、手紙を書いてイザベラに届けるという話

その中で妹ちゃんが字を学んだり郵便屋の仕事に触れたりという過程も楽しめます


さてイザベラはどうなっているかと言えば、政略結婚をして奥さまになっておりました

大きな家にほとんど閉じこめられたような状態で静々と過ごすことを余儀なくされています一人称も「わたくし」になっている。

 


そんな彼女に妹の書いた手紙が届きます。二人の絆を再確認したイザベラは、「ぼく」という一人称を取り戻します。
女性性を強要されたイザベラが、男性性を取り戻した瞬間です。


ここで物語は雲ひとつない青空を映した後に大団円となります。


 





……さて。

ここで話を物語後半の半ばごろのシーンへと戻させていただきましょう。

物語の中で、ヴァイオレットの同僚が何人か登場するわけですが。
「ヴァイオレットの職場にかつて勤めていたある女性が、結婚しても仕事を続けるらしい」という噂話が作中で登場します。それに対し別の女性は「これからは結婚が女性の最大の幸福でない時代が来る」と発言します。
ここから判断するに、かつては「女性=妻となることのみが幸せ」という価値観があったと思われます。
やはり従来の価値観を流用させていただけば、この既婚女性は「父親になった」(※仕事する大人=父親と言い換えている)と言えるでしょう。

この映画には、女性が父親になることを歓迎しようというメッセージがあると、僕は解釈いたしました。



京アニはすごいですね。
色による表現技法は意識してみるとかなり顕著で、狙った演出であることが伺えます。

 

 

 

プロって本当、本当に、すごい……。










以下、本文に入らなかった余談。

 

・「父親と娘」という関係性が鍵となっていることは、この作品における各男女の関係性からも読み取れます。ここに出て来る「男と女の組みあわせ」は、ほとんどが「年上の男性と年下の女性」という形体になっているように思います。 

イザベラと、イザベラの父。ヴァイオレットと、勤め先のおじさま社長。見習い郵便屋の少女と、彼女が師匠と呼ぶ青年。わざわざ引退した老人男性が職場復帰して、幼い見習い郵便屋の少女と会話するシーンが用意されていることも、何らかの意図を感じます。


・前半では青色は「男性性の象徴」としての意味あいが強かったように思いますが、後半では「自由の象徴」としての意味が強いように見えます。ヴァイオレットの勤める郵便局の主要人物は青い瞳が多い。

・ヴァイオレットの「自由」は「ある特定の人」から授かったことのようだ。彼女は「その人物」への感謝の想いを語るとき、必ず胸の青色のペンダントに手を添える。「その人物」=ヴァイオレットにとっての「父親」と言えるだろう。

・この物語後半でヴァイオレットはテイラーのサポートをするわけですが、前半とはうって変わって彼女は徹底して裏方に回ります。表に出て先導する役割ではありません。従来の考え方に則って考えれば、先導する者を「父親的存在」、裏方で補助する者を「母親的存在」と言うことが可能です。ヴァイオレットは父親的でもあり、母親的でもあったわけですね。赤でも青でもある色、紫(ヴァイオレット)なわけだ……。

ジェンダーロール(性役割)の排除という点については、後半の重要人物にあたる、郵便配達員の青年・ベネディクトがハイヒールを履きこなしているという点も挙げられるだろう。っていうかこの人のファミリーネーム「ブルー」なんですね。考察のし甲斐がありそうな……。


・青、赤、紫を象徴的な色として紹介しましたが、別の色も登場していると思いました。黄色です。この黄色を司る人物こそが、イザベラの妹であり後半の主人公にあたるテイラーちゃん。彼女の愛用のぬいぐるみは黄色いクマで、最初に履いていた半ズボンは黄土色、過去パートの登場時には蜂蜜を塗ったパンケーキを食べ、黄色い花を売ったお金で暮らしていました。
ちなみにこの作品において郵便屋は幸せを届ける仕事と表現されておりましたが、幸せを象徴する色としてよく使われるのが黄色
黄色は当然、青でも赤でもない。
またこれからの未来の象徴として、後半は電気がキーワードになります。電気と言えば黄色
赤だの青だのを排除し、性別でなく人間としての幸せをこれからは追求していこうという意図を感じました。


京都アニメーションは女性が活躍しやすい環境づくりが徹底された会社と伺っております。だからこそこのような作品ができるのだろうな……。

結論。プロってやっぱすげー

 

 

*映画HP→【『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』公式サイト

 

f:id:nnaboraababa:20190925143025p:image