店員がタバコを覚えてくれませんッ!
『聞いて! 店員が今さ、あたしが言う前にタバコ用意してくれたの!』
僕がかつて勤めていたコンビニで、20代後半の女性が、楽しそうに電話でそんな報告をしていたのを聞いたことがある。
隣のレジをちらり見ると、今しがたその女性客の対応をした店員が誇らしげに頬を緩めていた。
入ってまだ3ヶ月ほどの、高校1年生の男の子だ。
いつの間にか店で4番目の古株になってしまった僕は、その隣で常連さんである年配女性からぼやかれていた。
「だからメビウスのスーパーライトのボックスよ! ……そろそろ覚えてくれてもいいんじゃないの。いちいち言うの面倒なのよぅ」
世間ではこのごろ、「コンビニでタバコを買うときは、銘柄でなく番号で言うべき」という声がよく出ているようだ。ある常連さんは「番号覚えてもすぐ変わっちゃうじゃないか。違うタバコだからで往復して取り直させるくらいなら、銘柄で伝えたほうが親切じゃないか?」とおっしゃっていた。混雑しているときにいちいち確認させてしまうのは時間のロスである。目のお悪い方や年配の方にはなおさら余計な手間をかけさせてしまうことになる。
少なくともしょっちゅうお出でになるお客さまのタバコくらいは、店員側も覚える努力が必要なんじゃなかろうか。
というわけで僕は今さらながら、常連さんのタバコの銘柄を覚えようとし始めた。
具体的に言うと、メモ帳に常連さんの特徴とタバコの銘柄を書き入れることにしたのだ。
レジ混雑解消のためとか、お客さんに喜んでもらいたいというのもあるが、あらゆる常連さんのタバコをすでに記憶している、例の高校1年生の後輩くんに憧れたというのが一番かもしれない。
コンビニから8軒隣の蕎麦屋の奥さまのタバコはマルボロメンソール8mg。
いつもカフェラテを二つ買って行かれる30代の女性は、マルボロメンソール12mgから、最近クールループド5mgという発売されたばかりのものに変えた。
口をへの字に曲げた、いつも黄色い服を着ている背の高い中年男性はアイコスヒートスティックレギュラーという青いパッケージの商品。一度間違えてスムースレギュラーという銀色のパッケージのほうを袋に入れてしまったので、気をつけなければ行けない。
紺色の服を着た僕の大大大の苦手なお客さんは、メビウス1mgロングだ。白いやつ。長いやつ! これが特に覚えられなくて苦労した。メモ帳を更新するたびに真っ先に書いていたのに、あの人が来るとすっかり忘れてしまう。
そうやって覚えていくと、お客さんが喜んでくださるのだ。
「サンキュー」「ありがとう」「よく覚えたな!」
その言葉を聞くと、僕の心は羽根で擦られたようにむず痒くて、ホッカイロを触ったように温かくなった。
そして時は過ぎ……僕の勤務最終日。
レジを交代する、ほんの40秒前。
僕に「そろそろ銘柄覚えてよ」と言った例の年配女性が僕のレジに来た。
彼女の口が横に細長い長方形のような形、つまりタバコの「タ」を発音するための形になるのを見た瞬間、僕はバックステップで2歩分動き、タバコを取った。
その箱は、中のタバコが潰れないよう硬く厚い紙で作られていた。真夏の高い空のように清々しい、濃い青色が全体にあしらわれている。「つ」の字に弧を描く飛行機雲のような銀色のラインが右上に描かれており、左上には高貴な印象を受ける細めのゴシック体で銘柄が書かれていた。『MEVIUS SUPER LIGHTS』。
そうこれが、メビウス6mgボックス。
この年配女性の、いつものタバコだ。
年配女性は僕の俊敏な動きに対し「タ」の口を、「え?」という疑問符を放つための形状へと変えた。
だがすぐに「ああ」と納得の音を出し、こう続けた。
「ありがとう!」
そのときのお客さまの笑顔はまるで少女のようにチャーミングで、僕の記憶に強く刻まれた。
……ありがとう。
常連さんにそう言われて、僕のコンビニ人生は幕を閉じようとした。
感謝の言葉をいただいて締めくくれるなんて、まるで僕は英雄だ。胸を張って堂々と終わろうかと思った。
だが違う。僕のすべきことは、自分に酔いしれることではない。
僕は腰を起点にして上体を折り曲げ、レジカウンターの白色を眺めながら、明るく元気にこう言った。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ!」
-------------------------------------------------------