コボレ恥之介と 石の下でさざめく記事たち

元・マンガ家志望。小説・映画・漫画の感想や表現技法の勉強、自作品の批評など。僕がアウトプットするためのブログです。

ストーカー×自己犠牲妻の居場所を巡る物語ー『アンダー・ユア・ベッド』

DV、自己犠牲、ストーカー。居場所を求める3人の、暴力と愛の物語。

 

 

 

 

【※ネタバレ注意!※】

 

 

映画版『アンダー・ユア・ベッド』(原作:大石圭さん、監督:安里麻里さん)。拝見しました。

とにかく怖くて、悲しくて、後半は泣いて観ておりましたね。

千尋さんが、歯が飛んで鼻血が出た状態の真っ赤な口でフェ……をさせられるシーン!一番おぞましかったですね……!

 

 

冒頭のシーンは、ベッドの下から見える千尋さんの歩き方からは色気でなく疲れを感じ、「覗き見ている」感覚を覚えてむしろドキドキしました。僕はストーカーの素質があるかもしれません。

ベッドの裏側がまるで網タイツを履いた女性の脚のようで艶めかしかったです。ベッドそのものに色気を感じたのは人生で初めてです

 

原作で最も好きなエピソードのひとつである、長時間ベッド下に潜むため主人公がオムツを履くシーンが映画でも採用されていて嬉しかったです!映画で注目していたポイントのひとつでした。

自ら健太郎さんから逃走することを選んだ千尋さんの勇気はとても感動的でした。僕だったらできなかったかもしれません。その分連れ戻しに来た健太郎さんはなおさら恐ろしく見えましたね。

 

1度目にスタンガンを持ってカーテン裏に隠れていたのに千尋さんを救いに出られなかったときは、僕まで悔しくて情けない気分になりました。三井!何故行かなかったのだ!弱虫め!

……なんて。最初は思いましたが。あれはきっと、行動しなくて正解です。何故なら彼の原動力は偽りの記憶だったから。

「かつて自分は千尋さんを助けた」という幻想から覚めるシーンはとても悲しかったですが、やはり「自分の正体を知る」=「自分で自分という存在を知る」= 「自分で自分の名前を知る」、ということができたからこそ、彼は最後に健太郎さんに立ち向かう力を得たのだと僕は思います。

 

 

 

最後。千尋さんが三井さんの名前を思い出したことで、三井さんは過去の執着から解放されたように見えました。ようやく彼は自分のために生きられるようになったと感じました。僕の中からも朗らかな感情がこみ上げました。

 

 

さて、あんなにも恐ろしかった健太郎さんですが、彼は“強者”だったのでしょうか?僕は彼をあの作品で最も弱かった人物だと考えてます。

映画の中盤、全裸の千尋さんの身体に乱暴に舌を這わせるシーンで千尋さんの皮膚を噛んだと思われる描写に僕は奇妙な感覚を覚えました。恐ろしい怪物のような健太郎さんが、まるで母の乳を吸おうとする子供のように見えたからです。

きっと三井さんだけでなく健太郎さんも、千尋さんに「名前を呼んでほしかった人」なのでしょう。行動はまったくもって赦されることではないですが、彼も彼で必死に千尋さんに向けて救いを求める声を発しているのだと思いました。

最後の「俺を見捨てるのか」という千尋さんへ投げかけた言葉も、彼の幼さを表しているように思います。

 

 

DV、自己犠牲、ストーカー。歪んだ方法で”=“安住の地を求める彼らは異常な人物なのであろう。

……異常な人物?

いや、違う。どんな人であれ三井さんのようにも、千尋さんのようにもなってしまう恐れがあるのだ。そしてもちろん、健太郎さんになってしまうこともあるのだ

人は皆、「石の下でさざめく虫」なのだ。そこにいると気づかれることはほとんどないのだ。だが安心してほしい。たとえ誰にも知られなくとも、自分さえがそこにいると知っていればいいのだ。ああっ、それなのに人間はどうしてそれに気づかないのだろう!

 

 

 

……と、原作者・大石圭さんをイメージした文体で締めくくらせていただきました。

 

ずっと前に原作小説を拝読した際には気づけなかったこと、彼らがどういう人物なのか、どうしてこうなってしまったのか、彼らはどうしたいのかということに、この映画では気づくことができました。

2019年で一番感動した映画でした!(まだ9月上旬ですが!)

 

 

 

 

 

 

 

 

*映画公式HP:【映画『アンダー・ユア・ベッド』公式サイト

 

*映画公式Twitter:【映画『アンダー・ユア・ベッド』公式 (@UYB_movie) on Twitter

 

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オリジナル絵-抱きしめさん