「私たち」のため私を捨てろ?!ー『幸せになる勇気』感想
すべては、最良の別れと出会うため。
【※ネタバレ注意※】
『幸せになる勇気』(著:岸見一郎さん・古賀史賀さん。ダイヤモンド社)読了。
「愛と自立」を勧める話だった。
「愛」とはすなわち「私たち」の幸せについて考えること。
しかし人は「自分が愛されるため」のライフスタイルばかりを選択している。愛されたければまず、あなたが愛せ。与えよ、さらば与えられん。
相手があなたを愛するか否かは問題ではない。愛するか否かは相手の問題だ。
皆そんなことやっていないだって? 他の人が始めなくとも構わない。まずはあなたが始めるのだ。
このようにして、「愛されるためのライフスタイル」を捨てること。これが「自立」であると書では示されていた。
しかし「他者のために自分を捨てろ」と聞こえるこれは、前作のメインテーマともいえる「課題の分離」(※人の仕事は人の仕事、私の仕事は私の仕事と割り切ろうという話)と矛盾しないか?
僕は強くそう思った。なるほどこのペテン師らは、ネタ切れで適当な話をしたのだな!
いや違う。きっと「課題の分離」は邪魔だと冷淡に突っぱねろというものでなく、「相手が自分ひとりでできると信じてあげて」という意味なのだろう。
信頼の上で、課題を分離する。自分のために。相手のために。
いや違う、「私たち」というひとつの大きなグループのために。
自立する勇気を持て、他者を愛する勇気を持て。真の幸福とはその先に存在するものだ。
……おおよその内容はこれであっているだろうか?
何故こんな面倒なことを考えねばならないのか!
その答えも書の中に記されていた。
この行動の最終目的とは、『最良の別れを迎えること』だ。
時間は有限で、どんな人とでもサヨナラをする日が必ず来る。
「この人とすごした日々はかけがえのない日々だった」
別れの日、そんな風に思えるように。そしてまた、そんな風に思ってもらえるように。
心を覆っていた暗い不安の雲が晴れていき、見事な満月が優しく顔を覗かせるイメージが浮かんだ。
しかし僕としては、書に書かれていた「貢献感」なるものは分かるようで分からなかった。頭では分かっていても実感が伴わない。
自分がいい気持ちになればいいなんて、利己的じゃないか。それこそ「私たち」のためでなく「私」のためだけの行為じゃないか。
分からない。何故?
きっとそれはまだ僕が書斎に留まっているからだろう。現実の扉を開き、人間関係の中に生きること。「何でもない日々」という、穏やかなる大暴風雨の中で歩みを進め続けることの中でしか、実感は得られぬのであろう。
夏の熱が残る9月の初めの夜。窓から部屋に入った涼しい風が、僕の頬をそっと撫でた。それはまるで、僕のこれからの歩みを祝福するかのようだった。
日々を歩こう。『最良の別れ』と出会うため。
*本の詳細→【幸せになる勇気 | 書籍 | ダイヤモンド社】