いっそ小さくシぬために。 『生きてることが辛いなら』感想
※この記事では「死」という単語が頻発するため、「シ」というカタカナ表記に置き換えています。少々読みづらいかとは思いますが、ご了承くださいませ。
何が辛かったのか今でもよくは分からないが、マンガの連載企画をとあるウェブマンガの出版社に持ちこんでいたころ、僕は度々倒れて動けなくなっていた。
例えば熱が40度近くあるとか、実は心肺の機能が弱っているとか、そういう病気によるものではない。
ほんの少し疲れたくらいなのに、導かれるように床にうつ伏せに倒れこみ、身体をピクリとも動かせなくなったのだ。それでいて脳は今すぐにでも、それこそEXILEのバックダンサーを完璧に勤め上げられるくらい快活に動けるつもりでいるのだ。だから必死に身体中の筋肉に向けて指示を飛ばす。
伝達、伝達、伝達。
しかしその命令にどの筋肉も応じない。
眼球を蠢かせる筋肉さえも反応せず、床に磔になった己の右手の甲に僕は虚ろな視線を投げることしかできない。
開け放たれた口から唾液が頰を流れるが、それを拭うことは叶わない。
脳はそれでも必死に激昂を飛ばす。
応じぬ身体に苛立ちだけが積もっていき、瞬く間に強い攻撃性と変化する。
倒れこんでから5分が経ち、幸か不幸かようやく部分的に動くようになっていた。しかしながらそのときには、すっかり脳が憤怒に支配されていた。
目に入るのは投げ出された己の右手の甲。
ーー噛んでしまいたい。言うことを聞かないこのクソ野郎の手に思い切り歯を突き立てて、皮膚を食いちぎってしまいたい。
その衝動を感じたときには肘を折り、右手を自身の口元にまで擦り寄せていた。
カッと開いた口に右手を突っこむ。薄い皮膚越しに骨の固さが歯に伝わる。ほんの少しだけ顎に力を入れたとき、音が聞こえた。
…………ゴリッ。
固いもの同士が交じりあった音を聞いたとき、僕の脳は急激に冷静を取り戻した。
手骨を歯と触れあわせたままで静止する。
静かに右手を口から解放し、肩を起点にして自分の頭の上のほうに手を伸ばす。
そこにあったのは僕が日常的に使う、少し大きめの茶色の鞄。中に手を挿し入れ、スマートフォンを探し当てる。
そしてYouTubeの検索欄に、あの歌のタイトルを入力する。歌手の公式チャンネルがアップしている、あの動画が発見される。
曲名、『生きてることが辛いなら』。
再生を選択すると、ゆっくりとしたメロディに乗せて、少しだけ粘っこいが豊かで力強いあの声が僕の耳に届く。
生きてることが辛いなら
いっそ小さくシねばいい……
この歌は一部に過激とも取れる歌詞があるとされ、ジサツを助長するのではと問題になったことがある。
たしかに「生きるのが辛いならシね」なんて暴論を乗っけから、かまされてはたまったものではない。特にコンビニなど人の滞在時間が短い場所で聴くと、その危険性の高い部分のみを耳に入れてしまうという事故が多発していたそうである。
しかし何らかのしんどさに苛まれていたころの僕には、暖かくて救いのある優しい歌に思えた。
いや、実際そうなのだ。
あの歌は「シにたい奴はシね!」なんてまったく言っちゃいない。
むしろその反対で、「シななくていいよ、その代わり「小さなシ」を実行しようね」という生きるための提案をする歌なのだ。
ではその「小さなシ」とは一体何なのか?
それは2番と3番の歌詞に例題が出ている。
2番では『生きてることが辛いなら わめき散らして泣けばいい』と謳われている。泣くのを我慢してシぬくらいなら、赤子のようにわんわん泣いてしまえばいいということだ。
3番では『生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい』という歌詞がある。悲しい気持ちがある自分を肯定する、つまり悲しみを否定する自分に「シ」=終わりをもたらす、と解釈できる。
そして続く4番では「シにたいならシね!」などと言っていないことが分かる決定的な歌詞が二つも出る。
『生きてることが辛いなら いやになるまで生きるがいい』
『生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ』
そう。これはやはり、シに救いを求めてしまった人に向けた、「シぬ以外のシぬ方法」を提案する歌であり、すなわち「いやになるまで生きる」ことを勧める歌なのだ。
あのころの僕はシにたかったのだろうか?
たしかにそう言っても理に適っているような状態だったろう。
しかし僕はシにたいなんてひとつも思っていなかった。でも、シにたくはないけどシにたかった。
変わりたかった。
それまでの暗くてウジウジしていて情けない自分に終わりをもたらし、快活な新しい自分への変貌を遂げたかった。
蝶が蛹の殻を破って高く澄み渡る大空へ羽ばたいていくかのように、晴れやかに。
それからしばらくして僕はプロマンガ家を目指すことをやめ、また人の機嫌を不必要に伺うことをやめた。
その後の自分は不思議なことに、「明るく元気」と称されることが多くなった。
コンビニでアルバイトをしているときに、複数のお客さまから「あなたは本当に明るくて元気でいいね」とのお言葉を賜った。
今の快活な僕を手にすることができたのは、あのころ倒れこむたびに聴いていた『生きてることが辛いなら』が影響しているとみて間違いないだろう。
あの歌は僕に生きる力を与えてくれた。
森山直太朗さん。
僕に「小さなシ」をくれて、ありがとう。
*『生きてることが辛いなら』動画(ご本人公式YouTubeチャンネル)→【https://m.youtube.com/watch?v=4oTU_2Q-6xM】