『運命』という曲はない? オーケストラ 『べとオケ!』感想
人の数だけ解釈がある。
僕の解釈は、龍と少女の物語。
Beseeltes Ensemble Tokyo(略称:べとオケ!)を拝聴して参りました。
オーケストラのコンサートに足を運んだのはほぼ初めてだったのですが、圧倒されました。
席は中央よりやや前のほうに座らせていただきました。
拝聴したのは『交響曲第6番「田園」作品68』と『交響曲第5番「運命」作品67』。
本記事では、『運命』のほうについて語らせていただきたいと思っています。
『田園』については別の記事で触れされていただく予定です。
※なお、僕には音楽の知識も文章力もないので、その点はご納得の上でお読みいただけると幸いです。
この曲はとにかく力強くて衝撃的だった。
『田園』で小川のせせらぎのような穏やかで優しいメロディーを奏でていたのと同じ楽器・同じ演奏者たちとは一切思えないほどの重厚さであった。
その衝撃は顔面を拳で何度も殴りつけられたかのよう。鼻はひしゃげ、前歯は折れて宙を舞う。人相が変わるほどに腫れあがり、血液で顔が真っ赤に染まる。そんなイメージが何度もよぎった。
最初はそのような暴力的な力強さを感じたが、第1楽章(※ベートーベンの『運命』と聞いて皆さまが思い浮かべるあのメロディーはこの第1楽章にあたる)は聴き進めていく内に、神聖さをも感じるようになってきた。
思い浮かんだのは、大嵐の中で雷鳴轟く真っ暗な空を飛ぶ、傷だらけの巨大な黄色い龍。
強く打ちつける鉄のような雨粒に何度も押され地に落ちてしまいそうになりながらも、真っ直ぐ前を見て進んでいくイメージだ。
第2楽章のメロディーは優しい。乳飲み子の頬を撫でる両親の手つきのようだった。
第3楽章では低くおどろおどろしい、不安を掻き立てるような旋律を奏でる。冷えた手が産毛を掠めていくような、ゾッとするようなイントロに鳥肌が立った。
その後、大地を割るような轟音が耳を打つ。2000近くを収められる広いコンサートホールを音だけで簡単に真っ二つに割ってしまえるように思った。
第4楽章で、音楽は爽快感を伴ったパワフルな音へと変わる。腹の立つ奴をフギャンと情けない声で泣かせる様子を頭に思い浮かべた。勇気の湧いてくるメロディーだ。
さて。
この曲に感じた力強さとは、一体何を表現したものなのだろうか。
演奏を聴くまで僕は、濁流のように決して抗えない「運命」の強制力のことだと思っていた。
しかし演奏を拝聴し、さまざまな光景を頭に描いたことで僕は考えを変えた。
運命に拘束され無理矢理定められた道筋を歩かされるのではなく、例え針山の上であろうと灼熱の岩の上であろうと、自分で決めた道を歩いてやるという強固な意志を表しているのだと思った。
僕がもしこの交響曲に僕なりの物語を添えるとしたら、以下のようなものになる。
第1楽章。
その日は歴史上稀に見るような大嵐が世界を包んでいた。その日だけではない。もうひと月も絶えず残酷な天候が全世界を覆い尽くしていた。これは神界が突如現れた魔物の大群に乗っ取られてしまったからである。そして一匹の巨大な龍が、神界を飛び出した。満身創痍の中、人知れず空を飛ぶ。必ず神界に平和を取り戻してくれる勇者を見つけられると信じて。
第2楽章。
元あった平和で穏やかな光景を龍は思い浮かべた。取り戻すべき世界の姿に想いを馳せる。
第3楽章。
場面は変わり、人間界のとある街。ある少女が冤罪で重い刑罰に処されていた。
彼女は魔女であるというあらぬ疑いをかけられ、彼女を処することで悪天候を終わらせられると人々に信じられてしまったからだ。
針山の上を歩かされ、熱く熱した岩の上に横たわらせられる。
その場所には人々の恐怖が満ちていた。少女の恐怖はもちろんのこと、変わってしまった世界や自分たちの今後の生活への恐怖。本当は彼女が魔女ではないと思いながら、ただ一時の安心感のためだけに少女を痛めつけられる自分らの残酷さへの恐怖。
第4楽章。
龍と少女が出会う。龍は少女が魔女でなく神の子であると告げる。少女は龍にまたがり、魔物の王へ立ち向かっていく。世界に優しさを取り戻すために。かつて自分を誰よりも愛してくれた、今は亡き家族のために。そして何より、自分のために。
『交響曲第6番「天の裁き」作品67』。
せっかくの僕の物語だ、タイトルだって『運命』から変えてしまおう。
……こんな解釈、いかがでしょうか?
演奏会が始まる前にいただいたプログラムノートという冊子には、こんな風に記されていた。
『その音楽は作曲家の手を離れて、我々鑑賞者の心に委ねられている』。
もはや、「運命」が「運命」である必要はないのだ、と。
だからこの交響曲のタイトルは、『運命』であり『天の裁き』でもあるのだ。
『革命』でもあるし、『痴話喧嘩』でもあるし、『株価の変動』でもある。
『優雅な朝食』や『飼い猫の日向ぼっこ』として捉える人だっているかもしれない。
どの曲名も正しくて、どの解釈も正解なのだ。
そもそも『運命』という標題だって、つけたのはベートーベンではないそうだし。
もしかしたらベートーベンは、『ダイエット中、コンビニでポテチを買おうかどうしようか悩む曲』として作ったのかもしれないですよね。
……え? ベートーベンの生きていたころにコンビニはないだろうって?
じゃあこの解釈に限っては不正解ですね(笑)
*『べとオケ!』についての詳細(演奏団の公式サイト)→【Beseeltes Ensemble Tokyo - べとオケ!】