コボレ恥之介と 石の下でさざめく記事たち

元・マンガ家志望。小説・映画・漫画の感想や表現技法の勉強、自作品の批評など。僕がアウトプットするためのブログです。

つまらない本たち ~諦めた本は、挫折した理由について考えよう!~

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読み始めた本は、最後まで読まなければならない。
僕はそう思いこんでいる。
だがどうしても自分の肌にあわない本というものもある。そういった本を捨てる勇気も必要だ。
僕はもったいない症候群に囚われた人間なので、ただ捨てるということがどうしてもできない。
なのでつまらないと思った本は、「どのような点がつまらなかったのか」を分析してから捨てようと考えた。
以下はその記録である。
なお、これは僕個人の勝手な意見であるため、作品名は一切出さず「挫折本A」「挫折本B」などと曖昧な表記をさせていただくことにする。

読みづらさが生じてしまうが、ご承知いただければ幸いです。



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■挫折本A■

 

ワイルドな男性のエッセイ本。
性に関して倫理観のない描写があり、気持ち悪いなぁと思って読むのを止めてしまった。
あとそもそもエッセイ本というものにあまり関心がない。人間が好きではないからだろうか。ワイルドな男も苦手である。
苦手×苦手×苦手=挫折。

 

☆好きだったところ・よかったところ☆

・苦手な人間も、生きて、呼吸をして、物を食べて、どうでもいいことに想いを馳せている。どんな人も、生身の人間なのだなと思った。当たり前なのだが。

 

 


■挫折本B■

サスペンスホラーっぽいあらすじとタイトルだな、と思った。だからけっこう期待して読んだ。でも全然刺さらなくて途中で投げてしまった。
僕は心理描写というものが大好きなんだ。恋愛のような瑞々しい感情を明瞭な言葉に置き換えた描写も好きだし、犯罪心理のようなゾクリとするものにも心が躍ってしまう質だ。あらすじを読んだところ、恋愛描写も犯罪心理描写もどちらもおいしくいただけそうでワクワクしたものだった。
しかし、この作家は物事を淡々と描く作風だった。キャラクターの家族が亡くなるシーンもあったが、「家族の死に驚いた。そして引っ越すことになった」というふうに、ものすごくあっさりしていた。主人公らが窃盗を犯すシーンもあった。窃盗におけるこだわりは描かれていた。だがその盗みを犯すときに、どんな気分になっていたのかは描かれていなかった。

喜びながら盗んだのか。申しわけないと思ったのか。いっそ何も思わなかったのか。僕はそこが知りたかったのだ。


もちろん、感情を省いた描写を悪文としてこき下ろすつもりなど、僕には一切ない。そういった描写があう内容も当然ある。ただ「僕がこの作品に求めているものではなかった」というだけだ。
感情という目に見えないものを、目に見える言葉に置き換えて描写する。僕は創作物にそういった部分を求めているのだ。

そう気がついた。

…………。
……いや、違うな。
感情が描かれていなかった、というのはこの作品の評価にはふさわしくない。キャラクターたちは怒って物を投げたり、誰かに見惚れたり、人に気に入られるために犯罪を犯したりしていた。「喜んだ」「悲しんだ」という内面の気分に関する描写は少なかったかもしれない。でもこのように、複雑な感情は行動するという形でしっかりと描かれていた。
それなのに何故、僕はそこを読み取れなかったのか。
たぶん、文章があわなかったんだと思う。

今さらながら言ってしまうと、この小説は海外の作品である。つまり僕が読んだのは翻訳本なのである。その翻訳が、僕にあわなかったのだ。
この翻訳の文章は、僕の知らない単語が多かった。そしてまた、失礼を承知で言えば、回りくどい文章だった。そのため何度も同じ一文を読み直す必要があった。僕のような短気の人間には、これはけっこう難儀な作業であった。

Twitterで作品名&翻訳家名をキーワード検索してみたことがある。この翻訳家の文章は絶賛されていた。「こんなにも美しい文章は、この作品にぴったりだ」「同じ小説を他の方が訳したものも読んだことがあるが、○○さん(僕が拝読した方)の訳が一番よかった」などという意見をいくつも見かけた。大切なことなのでもう一度言おう。翻訳が「僕にあわなかった」のである。

そしてまた、このような「回りくどい文章」でも、好きになれたものもある。僕の大好きな作品にも、うんざりするほど回りくどい文章で作られたものがあった。でもその作品からは、主人公の偏った感情がありありと伝わってきた。だから好きになった。やっぱり相性なのかもしれないな。

……あとついでに言うと、この作品は「最後の50ページが特に面白いよ!」みたいなことを言われていた。でも僕ね、さっきも言ったけどね、ド短気なんですよ……。そこまで気力がもたなかったんですよ……。

いくつかの原因が重なった結果、本を投げる。そういう場合もあるのだ。

 


☆好きだったところ・よかったところ☆

・主人公の男の子が、学校に行けなくなった理由が興味深かった。その人のせいなんかい。子どもってたまに残酷な遊び方をするものだよね。でもまだ好きなんだ?

 

 


■挫折本C■

2作の中編を1冊にまとめていた本。表題作をC-1同時収録作をC-2と呼ぼう。

ちなみに、C-1とC-2は作品の雰囲気がそっくりなのだそう。
C-1は読了したが、C-2は途中で挫折。C-1で「僕の心には響かなかったなぁ」と思ったので、C-2はほとんど読まずに止めてしまったのだ。

C-1は「日記か?」と思ってしまった。淡々とできごとを並べる作風。
そういえばこの作者の別作品を読んだことがある。仮にC’としておこう。その作品はとても面白かった。
C’は、主人公の「誰もが持ちうる、わずかな悪さ」が生々しく滲み出ていて好きだったんだよなぁ。
C-1はそういう作品ではなかった。作品に求めていたものが違った、そのせいで挫折した。そういうことだろう。
そういえばC-1のあらすじに「美女が出る」とって、それも僕を惹きつけた要因のひとつだった。でも美女はちらっと出てさらっといなくなってしまった。別の美女も出てきたけれど、そっちの人もすっといなくなってしまった。
ファム・ファタール(※男を破滅させる美女という意味)が大好きな僕としては、さらっと流すC-1の男性主人公に感情移入ができなかったのかもしれない。
C-1の主人公は物語を通して何かに執着するようなキャラクターではなかった。(もしかしたら僕の読解力不足のせいかもしれないが……)
C’は主人公が己の立場を守ることに執着している印象があって、そこが好きだったんだっけ。

やっぱり「期待している話と違った」ってことなんだろう。覚えておきたいキーワードだ。


☆好きだったところ・よかったところ☆

・ラストの、物悲しいような開放的なような奇妙な雰囲気は印象的だった。映像で見たいなと思った。

 


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「好みじゃない本を捨てる」という技は、読書において最も重要な能力と言えるのではなかろうか。
「文字を多く読める」「好みにあう本を選ぶ」それらの能力も読書にとっては大事だろう。しかし長い話を読めないのであればショートショートを多く読めばいい話である。好みの本というのは、何冊か読んでいる内にだんだん分かってくるものである。
それらの能力を鍛えるためには、まずは「面白くないと思った本を読むのを止める」という能力が大事なのである。


捨てるということに抵抗を感じる場合は、「後で読む」という選択もひとつだろう。
漠然と「後で」とするのはモヤモヤしてしまうから、「2週間後の〇月〇日〇時に読書再開」などと明確な日づけを決めて別の本に移るのもひとつでは。
それでもやはり楽しめないと思ったら、泣く泣く捨てる。

何にせよ。

どこかで一度は「つまらない本」に関する雑念を、心の外へ出してやらなければいけないのだ。